雨の日/宮崎夏次系/小津安二郎

午前3時47分

 

雨続きで自転車に乗れない。

 

ILLUSTRATION Exhibition SESSION Vol.01

『せいかつのふしぎ』

https://www.session.gallery/post/183345017112/seikatsunofusigi

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最終日前日に気づいて訪問。

宮崎夏次系の絵は本当に良い。複製原画が欲しい。すごく欲しい。しかし2万7千円…。

ゆっくり悩んでみることにする。

 

新文芸坐 - キネマ旬報創刊100年記念 キネ旬ベストワンからたどる昭和・戦後映画史

http://www.shin-bungeiza.com/pdf/20190707.pdf

晩春/麦秋

初めての小津安二郎。殆ど同じ構造の二作品。

スクリーンの中の世界に映される日本家屋の映え方は凄い。

障子と襖でブロック分けされた間取りが場面の転換を容易にし、部屋から部屋への何気ない足取りにすらメリハリをもたらす。

家屋を取り囲む廊下と窓が時に部屋を細部まで照らし、時に人間のシルエットを浮き彫りにする。

梁と桟が、障子の網目が画面の中に幾重もの幾何学模様を形作り、複雑な奥行をもたらす。

そんな静謐で秩序だった空間の中に仏壇、洗濯物、薬缶、玩具、その他雑多な小物が配置され、規律のなかに柔和さが加えられる。なんだかドガのバレエの絵から受ける快感に似ている。

そんな空間をカメラは繰り返し繰り返し同じ構図で映し続ける。

時には昼の、時には灯りの中の同じ光景を繰り返し目の当たりにすることで、観るものは日常を意識する。

この作品の中で小津が語るストーリーは、謂ってみれば取るに足らないものだ。

戦後という時勢を反映したわけでもなく、ちょっと偏屈で時代に逆行したような価値観を持つ娘に舞い降りる縁談。娘がその先に描く幸福の形と父が抱く感慨。

優れた文芸作品の御多分に漏れず誰にでも共感できるような、誰にとっても実感のわかないような題材を、執拗なまでに描かれ、もはや重厚と思えるほどに折り重ねられた"生活と日常"の描写が支えている。

BGMを極力抑え環境音を強調した演出が更に空間とその中に散りばめられたオブジェクトの存在を際立たせる。

この作品の日本家屋の中に存在するものは、家具であろうと日用品であろうと人間であろうと均しく静物であり、小道具だ。そしてそれは例え命をもっていようといなかろうと均しく息づいていた。

 

観ながらぼんやり"これって山田尚子の「リズと青い鳥」に似てるなー。やっぱり影響受けてんのかなー。"なんて考えていたが既にすごく分析的に指摘している人がいた。

 

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そろそろブログに写真を上げたいな。