下北沢トリウッド

午前1時29分

 

アマノジャク・思春期

www.amanojaku-sishunki.com

受け口の子供が悩んだり喧嘩したり走ったりする映画。

俳優は基本的に全員大根。それ以上にト書きをそのまま読み上げさせているようなぎこちないセリフが芝居から生命力を奪っていた。

ただし主演の子供の演技にだけは圧倒される。ほとんどセリフらしいセリフを吐かないのだが、同級生や家族に責められているときの所在なさげな体の動きは迫真。子供を責めるタイプの親を持っていた人なら必ず心をえぐられるだろう。更に大半のシーンで顔をマスクで覆っているのに、目の芝居だけで感情を雄弁に表現している。怒りと恥と悲しみと自己嫌悪を同時にたたえた眼差しを放てる小学生に鬼気迫るものを感じた。

作中では主人公に救いは訪れない。家庭環境は悪く、クラスメイトからは疎まれ、教師には腫れもの扱いされ、弟からはそんな兄であることそのものを責められる。いじめっ子だけでなく親まで人格に問題を抱えており、理解者は誰一人としていない。

主人公を取り巻く環境の底意地の悪さが物語にとって理想的に主人公を追い詰めていく。

やくざ映画のように綺麗にマウントをとる子供の喧嘩や、まるで大人の視点を持っているような小学生の悪口は、主人公に降りかかる災難が作り物で、「大人が想像する子供の受難」であることを浮き彫りにする。

もしこの映画が「特殊な身体的特徴を持った子供の苦難」とか、「普通から外れてしまった人間の疎外感」だとか、そういうものを訴えようとしていたのならこれは大きな失敗だ。

苦悩する主人公に対し、周りの人間のしつらえられたような性格の悪さがあまりにもわざとらしく、作中の出来事の現実感を削いでしまっているのだ。現実にありうる問題を描いた作品として戯画化・寓話化がいきすぎていて、確かに身近に存在するはずの問題がずっと遠い距離にあるかのように見えてしまう。

 

というようなことを鑑賞後に考えながら劇場の廊下を歩いていたらキャッチコピーを見て驚いた。

 

「その子はクラスから仲間外れにされるのを、自分の受け口のせいだと思っている。」

 

この子がクラスから仲間外れにされるのはこの子の受け口のせいではないのだろうか。

主人公はコミュニケーション下手で(無口なうえ何かを話しても聞き取れない)、性格も暗く、ほかの子供から見れば理解できない行動に及ぶだけでなく、トラブルを起こすことも頻繁にある。主人公が抱えるこれらの人格上の欠点のほうが問題で、現にクラスメイトから受け口を馬鹿にされていることや、自分の目の前で親に厄介そうに受け口の治療の話をされるのは、些末な問題だというのだろうか。

主人公が自分に対する侮辱や暴力から身を守るために、またはそれらに対する報復として暴力をふるうことを、僕は全く悪いことだと思わない。

そもそも主人公がその地点に追い詰められていったのは受け口を蔑む周囲に原因があったのではないのだろうか。

社会的な一般論ではまず暴力の前に話し合いがあるべきだとか、親や教師に相談すべきだとか言われるかもしれないが、小学生相手に論理的な話し合いなんて成立するわけがない。主人公が起こすトラブルのせいで教師がけがをするシーンもあるが、それは主人公が抱える問題に無知であり、いじめを止めることができなかった教師が払った代償でもある。

言葉も大人も自分を守ってくれないなら、恐怖か痛みで自分を守るしかない。敗北者であることを受け入れられないのなら、被害者は2人目の加害者になるしかない。

または、監督は「身体的特徴なんて本人が気にしなければ大した問題ではないし、堂々としていれば次第に回りも変わっていくのだ。それを気に病んで周囲から孤立するのは愚かなことなのだ。」とか寝ぼけたことをこの映画を通して伝えていたのだろうか。

この映画が訴えようとしているのはそんなことではないと僕は思ったし、結果的にそうではなかったことが監督自身のプロフィールから判明するのだが、上述の「主人公を取り巻く現実が非現実的なまでに最悪なこと」と併せて考えるとあまりにも皮肉なフレーズだ。

更にポスターを読んでみると、監督自身が子供時代に受け口であり悩んだ経験があったのだという。つまり、主人公を取り巻く環境の無理解や劣悪さはある程度監督本人の実体験に即しているということだ。

一応、主人公のコンプレックスの根源は親の配慮の足りなさから始まっていることが描かれている。冒頭で医師から子供の受け口の治療に手術が必要なことを知った親が「ちゃんと口を隠さないと同級生に馬鹿にされるよ」と子供に伝える。子供は自分の口を隠すようになり、それが周囲の嘲笑や侮蔑に発展していくという流れになっている。

「そのようなコンプレックスを周囲が子供に与えてはいけない、そんなことをしたら子供は自分が抱える問題の原因が自分にあると思ってしまう。」というのがメッセージなのだとしたら、それは些か個人的すぎると僕は思う。

何故なら、身体的な特徴が批判や侮蔑の対象でない等というのは、今や自明の理だからだ。監督自身の怒りには僕はあまり興味がない。

物語におけるリアリティとは、感情よりも理性を通して実現される。物語の中で起こる出来事が過去に実在したことであるかどうかよりも、その物語の世界に存在する正義と悪が公平に描かれているかが重要だと、僕は思う。

 

 

COCOLORS

gasolinemask.com

 今日見た映画の中ではまともすぎた。

 

薄暮

www.hakubo-movie.jp

ある程度楽しみにしていた作品。

起伏のない淡々としたストーリー、所謂アニメ的記号表現を使わない抑制された演出、あと作画が省エネなところ…は大好きなJust Because!に似ていたが、こちらは「日常シーンで見せる」といえるレベルには達していなかった。

素晴らしいロケ地の美しさを表現するには作画が平凡すぎ、人物の芝居に目を見張るようなものもない。物語も淡々としたまま観客の手を引くことなく勝手に進んでいき勝手に終わっていた。

 

 

バイオレンス・ボイジャー

violencevoyager.com

正直開始直後に席を立とうか悩んだくらい82分間付き合うのが不安な作品だったが、最終的にはなかなか面白く見られた。

正直内容についてあまり語ることはない。悠木碧の演技万歳。

この作品はインパクトがありすぎるのでトリに持ってこないでほしかった。薄暮やCOCOLORSの印象が上書きされてしまった。