独りじゃない音楽

 下北沢にて行ってきた

r>12/7(土)8(日)開催<br><br>THEラブ人間決起集会<br>『下北沢にて&#39;19』<br><br>◆前売チケット<br><br>イープラス<a href="https://t.co/bUc3oSv24J">https://t.co/bUc3oSv24J</a><br><br>ぴあ(Pコード 166-916)<br>ローチケ(Lコード 73947)<br><br>各会場<br>出演者手売り<a href="https://twitter

夕方四時の下北沢駅東口に降り立つ。

黄色から紫にグラデーションされた空の中、ピンクのクレパスで塗ったような輪郭のないドコモタワーが遠くに浮かんでいて綺麗だった。

そもそも前日の夜にふと「そういやパブリック娘。ってグループに昔ハマっていたな」と思って、You TubeTwitterを漁りだしたところ当の彼らが今日下北沢でライブをやるというのだ。

職場や家を変えて気分が落ち込んでいる僕は、運命というかタイミングの巧妙さを感じて気づいたらチケットを買っていた。

目的はパブリック娘。だけだったが、折角来たので適当に他の箱を覗き見だけして、あとは喫茶店で本でも読んでいようと思っていた。

ところが最初に立ち寄ったshelterってライブハウスのバンドにやられてしまった。

 

hinto.org

太いグルーブとテレキャスターのパキパキしたリフ。なんだ、なんか溜まっていたのか俺?と冷静を装おうとする理性を余所に、気づいたら滅茶苦茶に体を揺らしていた。学生時代でもそんなにノることはなかったのに。

その後に続いたのも凄いバンドばかりで、すっかりその時間の虜になってしまった。

その変なテンションを引きずったままパブリック娘。がトリをつとめる箱へ。

 

8時半のTHREEは客足がまばらで、日曜日の夜にみんな気分が落ち込んで誰も音楽なんかに興味をなくしてしまったんじゃないかと思って物悲しかった。

パブリック娘。はそんな閑散としたクラブの中でテストをしていた。

大学生だった頃に行った秋葉原のmogra以来かもしれない。

既にshelterでワケワカラン気分になっていた僕は彼らの予行演習のサウンドに首を振っていた。

僕はこういう時は楽しさより気恥ずかしさが勝ってしまう性格なのだが、何故か今日だけは違った。その日2杯目の酒が回っていたのか知らないが、そのせいにしておこう。

少しずつ客も集まりだしてライブが始まると、色んなことを思い出した。

今はもう連絡も取らない友達と通った渋谷のクラブ。いろんな色の光が僕や皆の体を突き抜けて行った。初めて会ったのか久しぶりなのかわからない同世代のヤツラとの会話。耳鳴り。吐き気。そして早朝の渋谷を歩く浮遊感。

ここ数年、音楽を聴くことは僕にとって映画を観たり本を読んだりするのと同じ、内省的な行為だった。

サウンドから、歌詞から自分が何を感じ取るかを通して自分と向き合う。

独りで聴くのが音楽だったし、音楽との出会いだってそうだった。それでずっと僕は良かった。

ただ、僕の人生でもそうじゃなかった時期があったんだと思い出した。

誰かと気分を共有できる、言葉を介さなくても互いに通じるなにかを、音楽を通して持っていた時が、確かにいつかどこかであった。

だからって明日から仕事をガンバロウと思えたとか、気に入らない部屋が少しステキに見えてきたとか、そんなことは全くないのだが、何か悪くないものが僕の一部を満たしていた。

最後の曲"そんなことより早く、このパーティーを抜け出さない?"を聴きながらそんなことを考えていた。

 

ちょっとした高揚感と気恥ずかしさを抱えながら夜の下北沢を歩くと、腰の痛みに気づいた。久々に飛んだり跳ねたりしたせいだ。

27 にもなってはしゃいだりするものじゃない。